民事訴訟の目的① 問題の所在と戦前の二説

※一学生のブログです。内容の正確性・妥当性については保証しかねます。

 最初の記事として、民事訴訟の目的論について、私が理解したところを数回に分けて書いていきたい。はじめに私の思うところを述べると、これからの民事訴訟の目的論は、それを問うことの意味をまず問う(問い続ける)べきであると思う。

I. 問題の所在:民事訴訟の目的論を問う意味

1. 民事訴訟の目的論とは

 民事訴訟の目的論とは、民事訴訟という制度の目的を問うものである。「民事訴訟はなぜ存在するか」という問を考えるものと言ってもいいかもしれない。これまでに提唱された目的論のうち、主要なもの(本記事で触れたいと思っているもの)を挙げると、①権利保護説、②私法秩序維持説、③紛争解決説、④多元説、⑤手続保障説、⑥権利保障説(新権利保護説)などがある(その他にも様々な見解がある)。目的論は、たいてい教科書の冒頭で触れられ、民事訴訟を学ぶ上での出発点を成しているかのような印象を受ける。

2. 民事訴訟の目的論の目的論

 目的論についてここまで学説が乱立し混乱した原因は、「民事訴訟の目的論」というテーマの下で①何を②何のために論じるかという問題が、長らく等閑に付されていたことだと思う。後に触れたいと思っているが、この点が明確に意識されるようになったのは、おそらく1970年代からである。

(1) 何を論じるか

 「民事訴訟の目的論」と言うときの「民事訴訟」とは何か。ローマ法から日本国憲法まで、いかなる法体系の民事訴訟にも共通する、普遍的な民事訴訟なのか。それとも、あくまで日本国憲法の下で司法権を付託された裁判所が行う民事訴訟なのか。さらに、民事訴訟とは非訟事件ADRを含むのか、それとも訴訟手続に限られるのか(新堂幸司『新民事訴訟法[第6版]』(弘文堂、2019年)5頁参照)。

(2) 何のために論じるか

 高橋宏志教授の『重点講義民事訴訟法(上)[第2版補訂版]』(有斐閣、2013年)15頁によれば、民事訴訟の目的論の位置づけは論者により多様であり、①体系化のための目的論、②方法論としての目的論、③解釈論・立法論としての目的論、④通説批判のための目的論があるという。このように、何のために目的論を論じるかという問にも共通の答えがあるわけではない。

 そもそも、「民事訴訟の目的論」という問自体が独特である。なぜなら、他の実定法分野、例えば民法憲法で、「民法の目的は何か」とか「憲法の目的は何か」とかいう風に、取り立てて問が立てられることはあまりないと思われるからである。そうすると、「民事訴訟の目的論」という問が立つことの意味自体が問われてもよいはずであるが、学説は、ある時期まで、ここを問うことなく展開してきた節がある。

3. 本記事の流れ

 以上のような問題について、明確な答えをすぐに用意することはできない。そこで、本記事では、以上のような問題意識を常に念頭に置いた上で、これまでの学説史を振り返ってみたい。その上で、稚拙なことを承知の上で、私がどのように考えるかについても示してみたい。

II. 権利保護説 

 権利保護説は、19世紀にドイツの訴訟法学者であるワッハが唱えた見解である(権利保護説、私法秩序維持説については、山木戸・後掲および新堂・後掲を参照)。

1. 権利保護説の概要

 権利保護説は、民事訴訟の目的は文字通り権利の保護にあるとする。民事訴訟の本質は、国家が私的救済を禁止したことの代わりに、権利に保護を与えることにあると考える。

 また、権利保護説は、訴権論においては権利保護請求権説をとる。これは、訴権=勝訴判決請求権として構成する説である。

2. 権利保護説の特徴

 権利保護説の特徴として、その概念法学的発想を挙げることができる。

 第1に、権利は訴訟前にあらかじめ存在していると考える(権利既存の観念。山木戸・後掲)。これは、実体法を完成した体系と見て、いかなる事案においても実体法の論理的な操作によって権利の有無が判定しうるという概念法学的発想の発露である。

 第2に、裁判官の役割は法の創造ではなく、法の適用のみであるとする。これも、法を完成した体系と認識し、その体系の演繹的適用により結論を導くことができるという概念法学的発想に基づく。

III. 私法秩序維持説

 私法秩序維持説は、ドイツの訴訟法学者であるビュローが、ワッハを批判して提唱した学説である。

1. 権利保護説批判

 第1に、権利保護説が前提とする概念法学が不適切である。実定法は完成した体系では決してなく、法には欠缺が存在する。したがって、私権も既存とは限らない。

 第2に、本案判決請求権なる訴権は、訴訟前には存在しない。裁判官がいずれを勝訴させるかを判断するのは弁論が終結した段階であり、弁論の終結に至らなければ、勝訴判決請求権など生じない。

2. 私法秩序維持説の概要

 以上のように、私法秩序維持説は権利既存の観念を否定する。そうすると、民事訴訟の目的も私権の保護ではありえない。そこで、「私法秩序の維持」が目的とされる。

 前述のように、実体法には欠缺が存在している。この欠缺の原因は、立法は一般的な規範を定立するに留まるのに対し、実際の紛争は個別的、具体的であるがゆえに、一般的規範で想定できない事案が必然的に生じることにある。民事訴訟の目的は、このような立法府の限界を補完することにある。個別的な事案において裁判所がルールを示すことにより、法秩序が具体的に補完され、はじめて内面的に完成する。

3. 私法秩序維持説への批判 ―― 紛争解決説の立場から

 以上のように権利既存の観念を激しく批判した私法秩序維持説も、紛争解決説をとる兼子一博士からすると、不適切である。私法秩序維持説は、権利の既存性は認めないが、私法秩序の既存性は認める。紛争解決説に言わせれば、私法秩序すら既存のものではない。むしろ、訴訟が権利も私法秩序も形成するのである。はじめに訴訟があり、私権や私法秩序はあくまで後訴訟的存在である。

 この紛争解決説の主張は、訴訟は事実を認定し、認定した事実に法を適用する、という法律学習者が当然の前提としている考え方とは相容れないものであるように思われる。この見解をはじめて見たとき、実体法と訴訟法の関係についてのいわゆるコペルニクス的転回であると感じた。

 しかし一方で、一般的な実体法と訴訟の関係についての理解とは異なるからこそ、なぜそのような発想を是とするに至ったかも、また1つ気になるところである。次回では、兼子博士の唱えた紛争解決説とはどのようなもので、またどのような目的意識の下に提唱されたのかという点について書いてみたい。

IV. 参考文献

新堂幸司「民事訴訟の目的論からなにを学ぶか」法学教室1号(1980年)38頁

山木戸克己「訴訟法学における権利既存の観念」同『民事訴訟理論の基礎的研究』(有斐閣、1961年)1頁